大岩日石寺!

平日ですが、わりと多くの方が参拝に訪れていましたよ。 今回の写真は、MKさんの撮影した写真をアップします。 さすが、覚えも早いのに驚きました。! 御朱印も貰ってきました。! 撮影日 09.16 EOS R5

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わらじの寺

射水市新湊にある日蓮宗義常教会です。 詳細は2枚目の写真をご覧くださいね。 宜しければご覧下さいね! 撮影日 08.20 EOS R5

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過去の写真・延命地蔵尊祭り・灯籠流し!

芥川賞作家宮本輝氏「蛍川」の舞台となったいたち川。「富山の名水」としても知られるこの地の湧き水は「万病に効く」といわれ、毎日県内外から水を汲みに多くの人が訪れます。 龍の形をした蛇口から、絶えず豊かな水が湧き出ています。 撮影日 2013.07.23.24. EOS 7D

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那谷寺!

この日は観光客の方は、ほんの少しだけで貸し切りみたいなものでした。 宜しければご覧下さいね。 撮影日 06.21 EOS 5DsR

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石川県志賀町・機具岩!

二つの岩が寄り添う夫婦岩。 能登屈指のマジックアワーポイント。 そのむかし、能登に織物の業を広めた渟名木入比咩命が 突如山賊に会い、思わず背負っていた織機を海中に投げたところ、 忽然と岩に変じたという伝説が残っています。 伊勢の二見岩によく似ていることから能登二見とも呼ばれています。 意外にも、大きい岩が女岩で、小さい岩を男岩と呼称します。 そしてなんと言ってもここの夕日は絶景。 昼間とまるで違う表情が現れて、 その神秘的な姿がカメラマンたちをグイグイ引き寄せます。 また、夏季・冬季限定のライトアップも楽しめます。 宜しければご覧下さいね。! 撮影日 07.23 EOS R5

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白山比咩神社!

石川、福井、岐阜の3県にわたり高くそびえる白山は、古くから霊山信仰の聖地として仰がれてきました。ふもとに暮らす人々や遥かに秀麗な山容を望む平野部の人々にとって、白山は聖域であり、生活に不可欠な“命の水”を供給してくれる神々の座でした。 やがて山への信仰は、登拝という形に変化し、山頂に至る登山道が開かれました。加賀(石川県)の登拝の拠点として御鎮座二千百年を越える当社は、霊峰白山を御神体とする全国白山神社の総本宮です。 宜しければご覧下さいね。! 撮影日 07.21 EOS 5DsR

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能登輪島・・總持寺祖院!

 大本山總持寺は、令和3年(2021)に開創700年を迎えます。また、同年3月には、平成19年(2007)の能登半島地震で被災した大本山總持寺祖院の復興工事が完了し、落慶法要をはじめとした記念諸行事を、開創の地である輪島市門前町の同祖院にて開催することとなりました。  この地は、古くは北前船の寄港地として栄え、大本山總持寺が長い歴史の中で、海を通じて禅文化を全国各地に広めてとされています。これを「禅と海」と銘打ち、大本山總持寺と禅文化に育まれた禅の里・輪島市との結び付きをさらに深めるとともに、横浜市鶴見区、学校法人総持学園鶴見大学、全国曹洞宗青年会等と協力し、禅の世界の奥深い歴史や厚みある文化のさらなる魅力発信と相互交流の促進を図るため、「禅と海 里づくり・交流促進プロジェクト」を令和元年5月に立ち上げました。 宜しければご覧下さいね。! 撮影日 07.23 EOS R5

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石川県・那谷寺!

この日もうだる様な暑さで30℃越え・・・mkさんも暑さに負けず撮影していましたよ。 宜しければご覧下さいね。! 撮影日 07.21 EOS R5

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越中八尾・本法寺。

本法寺(富山市八尾町)概要: 本法寺の創建は鎌倉時代末期の正和5年(1316)、日順(日印の弟子)が開山したのが始まりと伝えられています。本法寺は当初、井田村に境内を構え法華宗の北陸道総末頭本山として大きな影響力がありました。北陸地方布教の中心道場となったことで隆盛を極め最盛期には境内に坊舎42字を擁し、末寺は30余ヶ寺を数える大寺だったそうです。 寺宝である絹本著色法華経曼荼羅図は室町時代の明応6年(1497)に室町幕府10代将軍足利義材が越中守護職の畠山政長を頼り越中国放生津に下向した際、政長の家臣で現地を采配していた越中守護代神保長誠が義材の政務復帰を祈願して奉納したもので、安産に御利益があるとして信仰の対象になると江戸幕府10代将軍徳川家治が側室が懐妊した際に江戸城に取り寄せ安産祈願が行われています。 本法寺は戦国時代に入ると当時の領主斎藤氏から庇護され城下に近い城生村に移され、斎藤氏が衰退すると樫尾に移されました。江戸時代に入ると富山藩(藩庁:富山城)前田家から庇護され、明和年間(1764~1772年)に現在へ移っています。 本法寺の境内は広大で飛騨の匠による名建築が軒を連ねる古寺特有の雰囲気が漂っています。山門は寛政6年(1794)から10年の歳月の後竣工したもので、規模だけでなく屋根を支える力士像や龍、鳳凰といった彫刻が施された重厚な建物です。鐘楼堂は天保2年(1832)に建てられたもので入母屋、桟瓦葺きの重厚な屋根の下には均整のとれた木組や壁一面に施された彫刻、高…

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過去の写真・博多山笠・櫛田神社‼

このお祭りの”舞台“となる櫛田神社の境内に建つ。追い山笠の終了とともに山笠は解くのが決まりであるが、この山笠は例外。祭り期間以外に来た観光客用に 一年を通して公開される。毎日、記念撮影の人々でにぎわう。(博多区上川端町) 宜しければご覧下さいね。 撮影日 2013.06.15 EOS 7D

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過去の写真・日光東照宮‼

日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、日本の関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である。また久能山東照宮・上野東照宮と共に三大東照宮の一つに数えられることが多い。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、東照宮の公式サイトがホームページに「日光東照宮」と掲げており[1]、他の東照宮との区別のために「日光東照宮」と呼ばれることが比較的多い。 隣接する仏教寺院の輪王寺は、勝道による日光山開山を奈良時代の天平神護2年(766年)とする。その後、関東地方の霊場として尊崇を集め、鎌倉幕府創始者の源頼朝からも寄進を受けた[2]。頼朝は、母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて、東国の宗教的権威となっていた。こうした歴史を背景に、徳川氏は東照宮を造営したと考えられる。 輪王寺、日光二荒山神社を含めた二社一寺は、「日光の社寺」としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。JR日光駅、東武日光駅にかけて門前町が形成されています。 *私たちが訪れたときは陽明門は修復中でした。 宜しければご覧下さいね。 …

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過去の写真・浅間(せんげん)公園五重の塔と富士山‼

大な「富士山」と五重塔「忠霊塔」が一目に見ることができ“NIPPON”を体感できると海外からも大絶賛のスポットです。新倉山の中腹にあり、398段の階段を登るプチ登山の後に見る景色は一見の価値があります。 公園内には約650本の桜が植えられ、春にはさくらまつりが催されたくさんの花見客で賑わいます。 また、新倉富士浅間神社や新倉山に登るハイキングコースもあり、多くの方にお楽しみいただけます。 新倉山浅間公園の特集記事に、桜の季節について紹介しています。ご確認ください。 【特集記事】山梨の桜の名所、新倉山浅間公園で富士山と桜の絶景コラボを満喫 宜しければご覧下さいね。‼ 撮影日 2015.01.11 EOS 7D MarkⅡ

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過去の写真・赤坂豊川稲荷東京別院‼ パワースポット‼

赤坂にある幅広い願いを聞いてくれるパワースポット「豊川稲荷東京別院」をご存じですか?金運、健康運、対人運、技芸運、商売繁盛、家内安全、良縁祈願や縁切り祈願まで様々!境内には狐がいっぱい祀られており、その形も多彩です。それほど規模は大きくありませんが、たくさんの神様が集まった神聖な空気が漂う場所です。 赤坂の豊川稲荷東京別院はお守り、おみくじが大人気。 お守りの効果がすごい、おみくじが当たるし縁起物までついてくる。 スグに売り切れてしまうのは限定御朱印帳。 販売からすぐに完売してしまうほどです。 持ち帰りも出来るご神水、運気をアップしましょう。 時代劇などによく登場する「大岡越前守忠相公」が、愛知県の豊川稲荷から鎮守・豊川ダ枳尼眞天を勧請して、ご分霊を自宅に祀ったのがはじまりとされています。当時(江戸時代)には、今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、九鬼嘉隆、渡辺崋山などの名武将たちの信仰を集め、庶民の間でも広く信仰を集めていたそうです。 宜しければご覧下さいね。‼ 撮影日 2015.06.28 EOS 7D MarkⅡ

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過去の写真・滋賀県石山寺‼

西国三十三所観音霊場の第13番札所。奈良時代後期に、聖武天皇の発願により、良弁によって開かれた。広大な境内には、寺名の由来となった天然記念物の硅灰石(けいかいせき)がそびえている。国宝の本堂・多宝塔をはじめ、経典・聖教類、仏像、絵巻など多くの国宝、重要文化財がある。 【石山寺多宝塔】  建久5年(1194年)に源頼朝が寄進したと伝えられる日本最古の多宝塔で国宝に指定されている。均整のとれた優美な建築で、内部の柱や天井の廻りなどには仏像や草花などの絵が描かれている。 【月見亭】  近江八景「石山の秋月」のシンボルとなっている月見亭は、瀬田川の清流を見下ろす高台に設けられ、後白河天皇以下歴代天皇の玉座とされた。 【石山寺豊浄殿】  多宝塔の北西、石山寺の最も高いところにある宝物館。毎年春(3/18-6/30)と秋(9/1-11/30)に開催される「石山寺と紫式部」展では、石山寺に伝わる宝物や紫式部・源氏物語に関連した展示を行っている。 ●近江八景「石山の秋月」 宜しければご覧下さいね。‼ 撮影日 2013.03.15 EOS 7D

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過去の写真。京都・圓徳院‼

ねねは秀吉との思い出が詰まった“伏見城”の前庭と化粧御殿を圓徳院に移築しました。この庭園は国の名勝に指定されています。かつては池泉回遊式でしたが、現在は池がなくなり枯山水庭園となっています。四季を通じてさまざまな表情が楽しめる庭園です。 宜しければご覧下さいね。‼ 撮影日 2013.03.14 EOS 7D

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大岩日石寺‼

大岩山日石寺境内には国指定史跡大岩日石寺石仏、重要文化財大岩日石寺磨崖仏をはじめ、三重の塔、山門、六本滝など数々の寺院や名所があります。また、冬の滝打ち修業も有名で、予約すれば体験もできるので滝修行で心身を清め、自分と向き合う時間を作ってみてはいかがですか。 百段坂沿いにはお食事処や旅館があり、「旅館 大岩館」は2009年に公開された映画『劔岳 点の記』のロケ地にもなりました。 大岩山といえばそうめんと言われるくらいそうめんが有名で、富山のおいしい水で作ったそうめんは喉越しもよくつるつると食べられます。門前街にある各お店では、そうめんのほかに、ところ天や山菜、川魚なども提供しています。ぜひ、そうめんと一緒にお召し上がりください。 宜しければご覧下さいね。‼ 撮影日 07.01 EOS R5

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羽咋市妙成寺‼ mkさんの第二弾‼

ここで、御朱印を記載してもらいました。何時かは四国八十八ヶ所巡りをし最後の高野山まで周囲の人に助けられながら訪れたいものですね。‼ 宜しければご覧下さいね。‼ 撮影日 06.17 SX50HS   

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宮崎県高千穂。岩戸隠れ・・・・天照大神‼

「岩戸隠れ」の神話  日本神話の中でも最も有名な逸話の一つでしょう。古事記と日本書紀の双方に書かれている物語ですが、古事記の方がより詳しく描写されています。  弟・スサノオ(素戔嗚命)の悪行に困り果てた太陽神・アマテラス(天照大神)が岩屋戸(洞窟)に引きこもってしまったので、この世は真暗闇となってしまいました。他の神々は、なんとかアマテラスを連れ出そうと、策を練ります。騒動の発端となったスサノオは、この後天界を追放されてしまいます。この岩戸隠れの神話をモチーフにしたのが、高千穂神楽の中でも「岩戸」と呼ばれるいくつかの舞いで、「手力男」、「柴引き」、「鈿女命」、「戸取り」、「舞開き」など、高千穂神楽三十三番の後半の山場として人気があります。(天岩戸神社については「宗教遺産」のページ参照。高千穂神楽については「祭りと伝統芸能」のページ参照。) 古事記上巻 「天の石屋戸」の要旨  恐れたアマテラスは「天岩屋戸」の扉を開き、中に閉じこもってしまわれた。そのため天界も地上界も暗闇となり、ずっと夜の状態が続いた。邪神達の声が世に満ち、さまざまな災難が起こりました。そこで神々は「天安河原」に集った。知恵のあるオモヒカネの案により、鶏を集めて鳴かせ、また川上から取った固い石で天金山の鉱石を鍛えて鏡を作り、また「まが玉」の珠を作り、また天香山からオスジカから肩の骨とハハカの木を取って来て占いをしました。天香山のサカキを根こそぎに抜いて、上の枝にまが玉を取り付け、中ほどには鏡を掛け、下には白布・青布を…

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過去の写真。神田明神!なぜか『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津 勘吉出現!

神田明神と言えば、銭形平次なんですが、なぜか『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津 勘吉出現! 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(こちらかつしかくかめありこうえんまえはしゅつじょ)は、秋本治による日本の漫画作品。『週刊少年ジャンプ』において1976年から2016年まで連載された。通称及び公式略称は「こち亀(こちかめ)」。「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」として、ギネス世界記録に認定されている。 つまり、2016年に連載終了となったので、この年奉納されました。! 宜しければご覧くださいね。! 撮影日 2016.09.04 EOS 7D MarkⅡ

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富山市於保多神社の梅‼

ご祭神 菅原道真公 御神徳 学問・正直・文化・書道・芸術芸能・詩歌・慈悲 前田利次公 富山繁栄の基を築く 前田正甫公 富山売薬の始祖 前田利保公 薬学殖産の始祖 ご由緒 建長年間に比叡山延暦寺で修行を重ね、後に勧学職になった惠顗(当神社の旧神職畠山氏の祖)は、時の座主法性坊尊意より秘蔵の天神像を与えられました。この像は菅原道真公の師である法性坊尊意(十三世天台座主)が描いた柘榴をかじり火炎となした絵図である。惠顗は、天神像を富山に持ち帰り、弘長3年(1263年)新川郡新庄に錦重山浄禅寺を建立し、天神像をお祀りしました。 江戸時代、富山藩初代藩主前田利次公は菅原道真公を祖とし氏神とし深く崇拝していました。富山城入城後、寛文5年(1665年)前田利次公は、ぼんやりとした天神像を壁上に夢見たことから、領民が所蔵する天神像の提出を命じました。天神町の浄禅寺が所蔵するの柘榴天神像が、前田利次公がみたものと同じであったことから、寺内に「天満宮」を創建、柘榴天神像をお祀りし祈願所としました。 その後、宝永5年(1708年)三代藩主前田利興公(としおき)が柳町(現在地)へ遷座し本殿、拝殿を造営しました。天神信仰は富山藩保護もと、庶民の間にも広まっていきました。 文化7年(1810年)九代藩主前田利幹公(としつよ)が富山藩祖前田利次公の霊を追尊し冥護の神としようと思い願い出たところ認められ、「国玉社」の社号を許され山王町神明社に合祀して祭典を厳修していました。 明治元年、明治維新…

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立山町・眼目山立山寺!

眼目山立山寺(通称さっかのてら)について 禅宗の古刹である眼目山立山寺は、建徳元年(1370)に曹洞宗大本山総持寺第ニ祖峨山禅師の高弟宗門五派の随一である大徹宗令禅師により創建。 立山寺には山岳信仰にまつわる神秘的な伝説が残っており、“哲学の道”を散策すると、その伝説がいまなお生きていることを感じることができる。樹齢400年をこえる木々が立ち並ぶ立山寺参道の栂並木は、県の文化財にも指定。癒しの参道として大変有名な場所となっている。 撮影日 12.14 EOS R5

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久しぶりの各願寺!

久しぶりの各願寺に出かけました。 目的は、猫のもくめちゃんです。 写真を撮影しているときは、猫のもくめちゃんがいるのを全く気付かなかったのですが、 家に帰って写真を見ると猫のもくめが写っていました。 望遠で撮影したせいもあってか全く気づきませんでしたね。 宜しければご覧くださいね。!   撮影日 12.02 EOS R5

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富山市石倉町『延命地蔵尊』

石倉町の延命地蔵の水 場所:富山市石倉町 MAPはこちら  いたち川の川べりにある延命地蔵の御手洗〈みたら〉い水は、万病に効〈き〉く霊水〈れいすい〉ともいわれ、各地〈かくち〉から水を求〈もと〉めてくる人びとが後を絶〈た〉たない。  地元の人びとは、毎日、御堂内〈みどうない〉を掃除〈そうじ〉したり、花を供〈そな〉えるなど、町ぐるみで管理〈かんり〉に努〈つと〉めている。 (環境省〈かんきょうしょう〉の「平成〈へいせい〉の名水百選〈ひゃくせん〉」選定〈せんてい〉名水「いたち川の水辺〈みずべ〉と清水〈しみず〉」)     名水の種類 井戸 選定年月 昭和61年2月 交通 あいの風とやま鉄道富山駅から西町(市電)から徒歩8分または富山駅より徒歩20分 お問い合せ先 富山市 環境保全課 富山市 観光政策課 TEL 076-443-2086(富山市 環境保全課) 076-443-2072(富山市 観光政策課) 私もこの清水を飲んだら少し足の痛みが緩和したような気がしました。 でも、次の日には痛みは甦っていました。・・・・ 信じる者は救われると思います。 宜しければご覧くださいね。! 撮影日 09.28 EOS R5

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高岡市『勝興寺・七不思議? 国指定文化財』!

戦国時代、越中一向一揆の拠点となった勝興寺は、1584年(天正12年)に越中国庁があったとされる現在地に移転してきました。本堂は、1795年(寛政7年)に西本願寺本堂を模して建立されたもので、国指定の文化財としてはわが国で8番目の規模を誇ります。平成16年度末に第Ⅰ期修理工事が完工し、平成17年度から書院等を対象に第Ⅱ期修理工事が始まりました。 勝興寺に伝わる七不思議  ①実ならずの銀杏(いちょう)、②天から降った石、③水の涸れない池、④屋根を支える猿、⑤魔除の柱、⑥雲龍の硯、⑦三葉の松 が有名です。 ちなみに、私は全部見つけました。 趣味のある方は、遊びに来て見つけてくださいね。! 宜しければご覧くださいね。 戦国の世に番屋があった場所が辛うじて火災から難を逃れた。燃えた形跡がみられる。 燃えた形跡が確認できる。 撮影日 09/30 EOS R5

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倶利伽羅不動尊・西之坊鳳凰殿!

倶利迦羅不動寺縁起 倶利迦羅山不動寺は、今から約1,300年前の養老二年(718)、中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵法師が倶利迦羅不動明王の姿を彫刻された尊像を、元正天皇の勅願により奉安された事が始まりと伝えられています。それから約100年後の弘仁三年(812)に、弘法大師が諸国を巡る途中で、不動明王を拝され、あまりの有難さに扉を閉められ、本尊と同体の不動尊像を彫り、御前立(おまえだち)の不動尊として奉安されました。この時、別当山として長楽寺が開山されたといわれています。 寿永二年(1183)の倶利伽羅源平合戦の際、兵火に遭い、多くのお堂や寺宝、記録などが焼失しましたが、その後、源頼朝によって再興されました。戦国時代の天正年間(1573〜1592年)には衰退し、廃寺同然となりましたが、江戸時代の寛永年間(1624〜1644年)に秀雅上人が再興し、さらに加賀藩主前田家の祈願所や参勤交代の休憩所となったことから、社殿の再建や寺領の寄進が行われ、寺運が再び隆盛しました。 倶利迦羅山不動寺 倶利迦羅山不動寺 江戸末期の天保七年(1836)に門前の茶屋から出火し、山門や不動堂が焼失しました。再建されないまま明治維新を迎え、明治二年(1869)の明治政府による神仏分離令によって長楽寺は廃され、手向神社となりました。その当時の仏像類は、金沢市の宝集寺、小矢部市の医王院、津幡町倉見の専修庵などに譲渡されました。 廃寺から50年後の昭和二十四年(1949)、高野山の金山穆韶大僧正の尽…

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