能登・機具岩 (別名・能登二見)‼

機具岩 (はたごいわ) 機織り(はたおり)の神様の伝説を生んだ夫婦岩です。 機具(機織りの道具)のような岩々からなっている所から名付けられました。 高さがそれぞれ、16メートルと12メートルの2つの岩が寄り添うようにあり、太いしめ縄で結ばれています。 伊勢の二見岩によく似ていることから、別名「能登二見」とも呼ばれています。 伊勢の二見岩は、高さ9メートルの岩が男岩、高さ4メートルの方が女岩に対して、能登の機具岩は、高さ16メートルの方が女岩、高さ12メートルの方が男岩なのです。 西向きに立っているため、能登の中でも屈指の夕焼けスポット。 まさに、神様が残した置き土産です。 1989(平成元)年から毎年行われている夜間のライトアップですが、2014年は夏期、冬期の実施を予定しています。 機具岩の物語 その昔、能登の地に織物の業を広めた、鹿島郡能登比咩(ひめ)神社の祭神である「渟名木入比咩命(ぬなきいりひめのみこと)」が、織機を背負って山越した折、途中で山賊に遭い、思わず織機を海中に投げたところ、こつぜんとしてそれが岩に変じたといわれています。 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 2014.08.14 EOS 7D

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能登半島・恋路海岸‼

恋路海岸 弁天島 恋路海岸(こいじかいがん)は、能登半島七尾北湾に位置する石川県鳳珠郡能登町の1kmの海岸。沖には弁天島が浮かぶ。 海岸名の由来は、この付近であった悲恋伝説によるもの。毎年7月の海の日の前日には、その伝説にちなんだ恋路の火祭りが行われ、大松明が夜の海を赤く染める。 また、海水浴場(恋路海岸海水浴場)でもあり、夏は海水浴客で賑わう。地名から、カップルで訪れる人が多く、近くに設置されているハート型のモニュメントに鐘があり、2人で鳴らすと恋が成就すると言われている。また見附島(珠洲市)から恋路海岸までの3.5kmの海岸線は、「えんむすビーチ」と言われている。 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 2015.07.17 EOS7D MarKⅡ

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石川県輪島市『垂水の滝』‼

白糸のような滝が、山から海へと直接流れ落ちる全国的にも珍しい落差15mの滝。輪島市と珠洲市の境目にある八世乃洞門新トンネルのすぐそばにあります。 能登の寒い冬の時期には、日本海から吹きつける強風により滝の流れが上空に吹き上げられ、そのまま凍結することもあります。 別名「逆さ滝」とも呼ばれるこの滝は、まるで白竜が天へと昇っていくように見え、幻想的な光景が広がります。 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 2015.05.17 EOS7DMarKⅡ

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能登輪島・世界農業遺産『千枚田』‼

白米千枚田は世界農業遺産「能登の里山里海」の代表的な棚田として、年々注目を浴びています。千枚田は「日本の原風景」と呼ばれ、昔ながらの農法が現在も行われています。 日本古来の農法「苗代田」を復活させ、実際に種籾から苗を育成し、稲作を行う取り組みを行っています。 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 2015.05.17

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群馬県・吹き割の滝‼

社員旅行で訪れた吹き割の滝です。 吹割渓ならびに吹割瀑の魅力を紹介します 昭和11年12月16日、当時の文部省から『天然記念物及び名勝』に指定された吹割の滝は、高さ7メートル、幅30メートルにおよび、ごうごうと落下・飛散する姿から東洋のナイアガラとも呼ばれています。『吹割の滝』の名は、凝灰岩・花崗岩の川床上を流れる片品川の清流が、岩質の軟らかい部分を浸蝕し多数の割れ目を生じ、あたかも巨大な岩が吹き割れたように見えるところから生まれました。 周辺には遊歩道も整備されており、『鱒飛の滝』の壮絶な景観や『獅子岩』と呼ばれる岩壁群、『般若岩』などの奇景、歴史ある『浮島観音堂』、『浮島橋』や『観瀑台』からの眺めなど、独特の渓谷美に彩られた多くの見所が存在します。 悠久の時が生み出した圧倒的な迫力と雄大な自然美。それらを体全体で感じられる『吹割渓ならびに吹割瀑』に、ぜひ、お出掛けください。 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 2015.05.25 EOS 7D

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岐阜県郡上八幡踊り‼

郡上八幡踊りは、八尾のおわらと勘違いしている人が結構多いように感じられます。 踊り自体は、郡上八幡踊りの方は動きが活発で『動』一方八尾おわらは『静』で 対照的でした。 今年はコロナの影響でおわら風の盆と郡上八幡踊りは中止ですが、来年こそは開催されますように 祈るだけです。 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 2013.08.07 EOS 7D

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岐阜県中津川市馬籠宿‼

歴史ある宿場町「馬籠」 岐阜県中津川市馬籠(まごめ)地域は、日本のほぼ中心部、中央南アルプス南端に位置し、傾斜地形の中に水田や山林が広がる里山風景が楽しめるエリアです。地域の中心部を江戸初期に開通した街道「中山道」が通っており、京都から続くこの旧街道は当地の宿場「馬籠宿」の先では「木曽路」と呼ばれる江戸時代の情景を保つ険しい80㎞ほどの区間に入り、その先もさらに延びて東京に続いています。 今も昔も馬籠は坂が多く現在の私では歩けないでしょうね。‼ 宜しければご覧くださいね。 撮影日 2013.08.07 EOS 7D

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長野・旧中山道・木曽路・日本最長の宿場『奈良井宿』‼

今思えば、良く日帰りで行ったものだと感心します。この後、馬籠宿や郡上踊りをみて 帰ったのを思い出しました。 宜しければご覧くださいね。‼ 歴史・宿場町の歩み 旧中山道の奈良井宿は、鳥居峠上り口にある鎮神社を京都側の端に、奈良井川沿いを緩やかに下りつつ約1kmにわたって町並みを形成する、日本最長の宿場です。 中山道木曽路十一宿のうち、北から2番目の難所:鳥居峠を控えた宿場町。 かつては街道を行き交う旅人で栄えました。その様は「奈良井千軒」と謳われ木曽路一番の賑わいでした。奈良井宿は鳥居峠の上り口の鎮神社を京都側の入口とし、奈良井川に沿って約1kmの中山道沿いに町並みが形成されています。旅籠の軒灯、千本格子など江戸時代の面影を色濃く残しています。時代を超えた風格が感じられます。 奈良井宿保存の経過としては、近世の民家として高い評価を受けた中村邸の宿場外移設問題を契機に、身近な歴史的資産の再確認と継承・維持を目的にした官民学連携による町並み保存運動が、他に先駆けて始まったのが昭和43年のこと。 その後、国の伝統的建造物群保存地区制度を受けて刊行された「町並み保存対策調査報告書」に基づいて保存条例(保存計画)が施行され、昭和53年に国から重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。この栄誉は、多くの人たちの奈良井の地域づくりにかける並々ならぬ熱意の記念碑ともいえるものです。 選定後も、平成元年に国土交通大臣表彰の「手づくり郷土賞」、平成17年に「手づくり郷土大賞」、平成19年に「美…

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砺波市頼成の森『花菖蒲』‼

頼成の森へ出かけました。 菖蒲祭りは中止でしたが、多くの方が 咲き誇る菖蒲の花を見に来ていましたよ。 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 06/15 EOS 7D MarKⅡ

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ホタルの乱舞‼

友人と福光の道の駅で撮影しました。 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 06/10 EOS 7D MarKⅡ

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ランプの宿と日本三大パワースポット『青の洞窟』‼

ランプの宿 能登半島最先端、人里はなれた一軒宿です。 館内には、約50個のランプが灯り、幻想的でロマンチックなひとときを過ごすことができます。お風呂は数種類の露天風呂があり、貸切露天風呂もあります。 聖域の岬 SanctuaryCape 青の洞窟-BlueCave- 日本三大パワースポット「聖域の岬」は能登の語源となった天へ登る仙人が住んでいたと伝えられている。 また、古来よりこの洞窟は万能の気力と願いが叶うと伝えられてきた。 一度は宿泊したいランプの宿です。 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 2015.05.17 EOS 7D MarKⅡ

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半月‼

宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 2013.05.31 SX50HS

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清水寺‼

以前友人といった清水寺です。 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 2010.03.14 EOS 7D

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高岡市・武田家は武田信玄公の弟逍遥軒信綱の子孫

武田家は国の重要文化財にも指定されている大田村の肝煎りの居宅です。武田家は甲斐の武田信玄の弟逍遥軒信綱の子孫と伝えられており、代々肝煎りをつとめた豪農です。武田家にはこのような歴史を語る多くの古文書や地図が残されており、展示公開しています。また、この住宅は伏木勝興寺の再建時の余材で建てられたといわれており、建築年代が古いにもかかわらず保存状態がよいことから、今も貴重な文化財として守られています。 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 05/28 EOS 5DsR

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高岡市国泰寺・仁王像‼

国泰寺の仁王像は多分県内一の大きさを誇っていると思います。 以外にも可愛いお顔をしていらしゃるので優しく出迎えてもらえます。 コロナが収まれば皆さんも遊びに来てくださいね。 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 05/28 EOS 5DsR

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高岡市・国泰寺石庭‼

 ※国泰寺からの、お知らせ   『開山慧日聖光国師御遺誡』より  令和2年6月2日、3日開催予定の国泰寺開山忌は、新型コロナウイルス感染症が猛威をふるっているために、中止とさせていただくことになりました。  虚無僧による献笛、おねりなどもありません。現状は厳しく、少しでも感染拡大を阻止するための措置である、とご理解ください。  国泰寺としても、一刻も早い終息を心から願っておりますが、感染者は増加し続け、先の見えない状態が続いております。  この感染症のやっかいなところは、一見無症状でも「他人に感染させてしまうおそれがあること」、そして「高齢者や基礎疾患がある方」は重症化しやすいということです。 今はなるべく不要不急の外出を避け、感染しない、感染させないことが大切です。 新型コロナウイルスに関する情報は、厚生労働省の開設したページでもご覧になれます。正しい情報に従い、出どころ不明な情報に惑わされないように注意しましょう。 言葉を話す時は、 偽りや虚妄を除き去ることが必要であり 何かを行う時には 穏やかに偽り無く ずばりと潔(いさぎよ)く 行おうとする事を大事にする。 『開山慧日聖光国師御遺誡』より 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 05/28 EOS 5DsR

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夕方の月と桜‼

富山市かんぽの宿付近で撮影しました。(2013年) 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 2013.04.22 SX50HS

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安田城跡のスイレン‼

歴史[編集] 天正13年(1585年)、豊臣秀吉が富山城に拠る佐々成政を征討するために出陣した富山の役の際に、富山城攻めの本陣となった白鳥城の支城として大峪城とともに現れるのが史料上の初見であるが、文献上にみえるものの、いまだ所在が確定されていない安城をその前身とする説もある。前田家の武将岡嶋喜三郎一吉が城主として入り、同年、成政が降伏した後も、越中東部の新川郡が佐々領のまま残ったため、引き続きそのまま前田家の前線拠点として使用された。天正15年(1587年)の成政転封に伴い新川郡は秀吉直轄領(のち上杉領を経て、蒲生騒動による領地替えで前田領)となり、安田城の役目はいったん終わったものと考えられるが、慶長2年(1597年)前田利長が守山城から富山城へ居城を移すと、岡嶋一吉が片山延高とともにその支城として初め白鳥城へ入り、その後ふたたび安田城へ移った。慶長4年(1599年)、前田利家死去により、利長は金沢へ帰還し、岡嶋一吉もそれに従った。その後しばらく代官平野三郎左衛門が居城したが、慶長年間には廃城となったものとされる。 江戸時代に描かれた古図(「安田古城之図」1813年頃製作)から、江戸後期にはある程度姿をとどめていたものと見られるが、近代にはいると水濠は埋まり城跡一帯は田畑として使用されており、遺構は判然としなくなっていた。昭和40年代末に圃場整備計画が持ち上がったことにより一時消失の危機に立たされたが、昭和52年(1977年)と53年の2回にわたり発掘調査が行われ、古図に示されているとお…

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金閣寺‼

今では懐かしい社員旅行で京都に行ってきました。 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 2012.06.11 EOS 7D

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自宅の花!

雑草が生えすぎ、花が見えないくらいになっています。 草むしりをしなければ・・・ 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 05/18 EOS 7D MarKⅡ

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夜明け前の雨晴海岸から見る立山連峰‼

この日は午前3時に雨晴に着き、日の出午前7時30分過ぎまでいて そのあと、頼まれていた庄川の厄年祈祷祭(厄払い鯉の放流) やくどしきとうさい(やくばらいこいのほうりゅう)の写真を撮りに行きました。 今では、体力がなくこのような行動はできませんね。(笑) 宜しければご覧くださいね。‼ 撮影日 2014.01.07 EOS 7D

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