安田城跡のスイレン‼

歴史[編集]
天正13年(1585年)、豊臣秀吉が富山城に拠る佐々成政を征討するために出陣した富山の役の際に、富山城攻めの本陣となった白鳥城の支城として大峪城とともに現れるのが史料上の初見であるが、文献上にみえるものの、いまだ所在が確定されていない安城をその前身とする説もある。前田家の武将岡嶋喜三郎一吉が城主として入り、同年、成政が降伏した後も、越中東部の新川郡が佐々領のまま残ったため、引き続きそのまま前田家の前線拠点として使用された。天正15年(1587年)の成政転封に伴い新川郡は秀吉直轄領(のち上杉領を経て、蒲生騒動による領地替えで前田領)となり、安田城の役目はいったん終わったものと考えられるが、慶長2年(1597年)前田利長が守山城から富山城へ居城を移すと、岡嶋一吉が片山延高とともにその支城として初め白鳥城へ入り、その後ふたたび安田城へ移った。慶長4年(1599年)、前田利家死去により、利長は金沢へ帰還し、岡嶋一吉もそれに従った。その後しばらく代官平野三郎左衛門が居城したが、慶長年間には廃城となったものとされる。
江戸時代に描かれた古図(「安田古城之図」1813年頃製作)から、江戸後期にはある程度姿をとどめていたものと見られるが、近代にはいると水濠は埋まり城跡一帯は田畑として使用されており、遺構は判然としなくなっていた。昭和40年代末に圃場整備計画が持ち上がったことにより一時消失の危機に立たされたが、昭和52年(1977年)と53年の2回にわたり発掘調査が行われ、古図に示されているとおりの遺構が確認されたことから、県内有数の貴重な平地城館遺跡として保存がはかられ、昭和56年(1981年)に国の史跡に指定[1]された。平成2年(1990年)から4年にかけて整備事業が行われ、現在土塁、水濠が復元され、資料館が併設されている[4]。
宜しければご覧くださいね。‼

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撮影日 05/24 EOS 7D MarKⅡ

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